グーグーだって猫である
- 作者: 大島弓子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 2000/07
- メディア: コミック
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2,3年前、大学の図書館で本の旅人を見つけてこの漫画と出合った。猫が好きな事も相俟ってどんどんと作品にのめり込んで、書店で目にしそのままcashierへと向かった。
死んでしまった猫の寂しさの為に、毎日散歩しペットショップを何気なく回っていた。ある時、ペットショップに行ったらアメリカンショートヘアの本当に小さな子猫に出会い、その小ささを気遣って受け入れることにした。
こう始まるこの漫画は、猫と飼い主の日記形式で書かれている(時は前後するけど)。こんな事が書かれていた。
著者が猫の好きな知人に「猫のエサ何あげているの?」。すると知人は一間おいてこう答えた。「ごはんは缶詰とか煮干とかドライフードを混ぜてあげているの」と。
何故知人は一瞬間をおいたかというと、『著者が発した言葉を猫に対して乱暴に扱ったからだ』と著者は述べていた。
自分と同じように感情を持っていて、同じように生きている(猫や人間、etc...)に対してぞんざいな言葉使いをしている現代の人々は、この本のこの回を読んでどう思うのか?へっ、そんなの、ど〜でもいいやと言って、愛する人や、友人に間違った言葉を届け続けるのだろうか?
と、詩や文を書く時の言葉の選定の難しさ、言葉自体の難しさを想起し痛感しながら考えた。