でざいん論 寄稿その4

初雪が降った札幌市。身に沁み、手も真っ赤になるほどの寒さの中講義へ向った。

今日は1〜6回(2回休んでしまいました…)までの講義内容のまとめ&復習だった。john maeda氏の『THE LAW OF SIMPLICITY』の原書と翻訳された本のデザインの違いについてから始まり、

(お絵かきで書いたので読みづらいのはあしからず)
をやりゴーリキの『私の大学』の大学は大学という枠組みだけではなく、地域や場所そして自分自身が大学である、と原研哉氏のデザインとアートの違いについて学び、最後はまとめとして情報デザインとは何であるかについて教わった。


今回グッときたものはjohn maeda氏のテクノロジーやツールは使用するけれども最終的には自らの手によって作る、とゴーリキーの『私の大学』、情報デザインとは何?だった。

john maeda氏の輪廻ともいえる色々してみて最後はやっぱり手で作り上げるのが一番心がこもっていて相手にも自分が伝わるというのは、音楽にも通ずるところがあると思った。最近の音楽は機械ありきで、それなしでは成立しないといってもいい位頼りすぎている。だからあまり作者の思いは伝わる事はなく、1,2回聞いてしまってあとはb00koフなど自分の手から離れる一方である(機械[テクノ]などすべてが良くない訳ではなく良作もある)。しかし、機械を最小限または全く使わずに生音だけで作られた音楽は、どこか温かみがあり、人間臭さも感じられ、音に血が流れているのを聞き取れ、作者がどんな人であるか思いを巡らせる事が出来る。だから、よりよい物を伝えたいならば心がこもった、血がこもったものを相手に届ければいいという結論に至った。

『私の大学』は過去から現在まで此処数年の自分を思うとちゃんとしていたのか?そうではなかったのか?と考えさせられた。場所や地域には無関心だったけれど、僕自身の大学は僕なりに成り立っていたと思う。音楽に対する考えや捕らえ方、ラジオから得た情報を最大限に生かし他の情報に役立てる、偏った読書など。まだあった気もするが、このぐらいなのだろう。狭い範囲だけれどもどれも深海のように深く勉強できたが、はたしてこれは『私の大学』なのだろうか?

最後は情報デザインとは?について。それぞれ散らばる個体(内容、素材)を導く(形式、意味、物語)ことによってまとめ上げ構築することが情報デザインになる。情報デザインはほとんどの物事について対応が可能な概念の一つでまるでLATCHと≒で結んでもいいくらいだと思った。この講義のハイライトはLATCHと断定するには早すぎるか…。